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2009年7月29日 (水)

7月の山小屋、写真追加

Flickrデビューです。

こちら

同行したイトー家トモちゃん写。

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2009年7月28日 (火)

「共鳴」 鍵山秀三郎×桜井章一 DVD

リンク先の特設ページ、下の方のサンプルムービーを見て
このDVD欲しくなりました↓。

http://www.takeshobo.co.jp/sp/sympathy/

農業とは万事いいものだ、
っていう風潮に、「?」と
自分でも思っていたところで、
農業が行き着く先に
戦争があるということを
はっきり言われて、
そうか、と気づいた。

広い領土を
独り占めすれば、
米がいっぱいとれて、
とりあえず自分は食える、
となる。

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2009年7月27日 (月)

相当気をつけていないと

ということがある。

たとえば30過ぎてみんな腹が出てきた、
でもあの人はシマった腹で、
実は毎日の食事や運動に気をつけてるそうだよ、
相当気をつけてないと、
あれをキープできないよね、とか。

年相応に腹が出てもいいじゃないか、
という議論はさておき。

体と同じように、
心もそういう話があるんじゃないか、
最近そう感じてきました。
ちょっと油断すると、
オトナ的ずるいことを
考えている自分がたまにいる。
それはぼくの場合、
「付き合い」を優先させたり、
ということに出ます。
楽しいと思わない場所に顔を出したり、
適当に、良い、と口走ってしまったり、
とりあえず円滑に、とかいうことを、
僕はやってしまいがちだったと思います。

それも大事なんだが、
でもそうじゃなく、
正直さがいいことだってある。

ツマらん大人出来上がり、となる
分岐したレールの一歩前で
そっちじゃなくてこっち!と
いつも教えてくれるのは音楽です。
自分の演奏を録って聞いたり、
映像を見たりすると、
それがツマらんこと考えてるオトナなら
ツマらん音してます。
これだけは演技でも隠しようがない。
そこでやっと、アレッと気づく。

自分が気づいていないうちに
そうなるのだから、
心は体より、
腹が出てきたのが見えないぶん、
タチが悪い。
自分のまわりで知る限り、
思い起こせば
面白い大人は
相当気をつけていたみたいだ。


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2009年7月24日 (金)

7月の山小屋

結局じゃがいもは、大半をいのししに食われ、
そのおこぼれを食いました。
ぼくは趣味でやってるからいいものの、
農家の仕事となると
その被害は計り知れんものがある。

にんじんも小さいが味は濃く、
葉っぱを雑炊にしたり。

そうだ、皆既日食もありました、
NHKで見てました。

何が写ってるのかようわからん、というのも含めてどうぞ〜。


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2009年7月23日 (木)

夏祭りを

テキ屋さんなどを締め出して、
「善良な市民」だけでやろうという
ことで、ウチの近所の
お祭りはどこもそうなってます。

ワルいヤツらを入れないで、
平和に幸せにやれば、
もっと安心、安全なお祭りだよ、
という話だが、
正直、
本職のテキ屋さんがいなくて、
がっかりだな〜、って
思うことの方が
ぼく個人的には多いんです。

こんな話があります↓。
どう思われますか。

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2009年7月22日 (水)

クリエイティブについて

最近夢中で読んでる記事があります↓。

http://www.1101.com/telecom/17.html

気になる人は第一回に戻って頭から読んでみてください。

http://www.1101.com/telecom/

ちょっと抜粋。

 例えば、ドラマを観ていて、
 何か違う気がするなあ?と思う時には、
 その作家の人生観にフィットしなかったんだけど、
 でも『違うなあ』とは思いながらも、
 作家が本気で問いかけた場合には、
 『俺はそうじゃないけど、その幸せはありだなあ』
 と、何となく納得できたりするんですよね。
 その逆で、作家が自分の幸せ観に
 まったく触らないところで、
 『どうせみんなはこういうのが嬉しいんだろ?
  どうせこういうのを面白いと思っているんだろ?』
 というような、相手に合わせようとしたた表現には、
 みんな受け手として、露骨に嫌な感じがするでしょ。
 例えば、自分が成功しているという幸せ観しかないと、
 大勢の人に賛成してもらうのは、難しいでしょうし。

 でも、そういうものではなくて、
 『自分が本当に問いかけた幸せ観が
  受け入れられなかったら、嫌だなあ』
 と、怖さがあるんだけど出したものなのだとしたら、
 それは、たとえ共感されなくても、
 『あれはあれでありだよなあ』と思われるはずで、
 やっぱり、すごいなあと感じさせる作品には、
 そういう幸せ観があるものだと、ぼくは感じています。

 立候補しない人には、票が入らないでしょう? 
 口説かれるのではなく口説く立場になったとたんに、
 選挙の立候補者のようにならないといけないわけだし、
 時には、自分にも整理のつかない価値観を表して、
 通りすがりの人を考えさせなければいけなくなる。
 ドラマを観て『これ、違うんじゃない?』と
 すごく突っこむ受け手でいるのはすごく簡単だけど、
 作り手はほんとにたいへんなんです。

そういう意味で、
バカボンのパパ「これでいいのだ」という言葉を
ぼくは最近ガッツリ理解した。
モテる服でもなく、
ダサいと言われない服でもなく、
オシャレと言われたい服でもなく、
人より一歩先をいく服でもなく、
自分が幸せになれる服を着て
街に出て、「それでいいのだ」と
胸を張ればいいわけだ。

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2009年7月21日 (火)

夏休み

ということで、
23日まで山小屋で遊んできます。

ジャガイモがイノシシに食われているかどうか。
まあ「くれてやる」くらいの気持ちで
行こうと思います。

海もあるので
今回はボードにもトライです。

8月のライブに向けて
しっかり練習とリハは重ねますが、
夏休みはまずしっかり休むもんだと思ってます。
間違っても
「夏休みの目標」なんか
たてるもんじゃない。
休んでますかーっ!!!

帰ったら写真アップします!

行ってきます♪

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2009年7月17日 (金)

Amazonとタワレコ

について書きます。

名古屋の実家に行く用事があって、
帰り、ついでに市内の中心部、
栄に寄った。

中高生時代、通いましたよ。
栄のPARCOにあるタワレコ。
'91年の中学時代は
まだCDオタクしか知らない
マニアックな場所で、
縦長の紙箱に入った直輸入のCD、
買いあさった。

最近のタワレコのイメージとは
ちょっと違って、
輸入モンをいち早くゲットできる
優越感があった。
あまり知られていない海外ブランドの
スニーカーを
セレクトショップで買う、
くらいの喜びだった。

それが'93年の高2のころには、
あの紙箱も姿を消し、
CDといえばタワレコ、という
時代に一気に入った。

そして'95年、大学で東京に来た
その年に、渋谷店が今のビルで
でっかくリニューアルオープン
して、これまた
我先にと通いつめた。

HANDSの横に渋谷店があった
時代もなつかしい。
"X"ライブin 武道館、中学生が
鈍行で名古屋ー東京まで来たのだ。
ガンズ&ローゼズの専門店が
HANDSの向かいにあった。

今'09年、アメリカのタワレコは
とっくに倒産、
iTunes、Amazon全盛で、
僕自身タワレコに足を運んだのは
何年ぶり、という始末だ。

ちょっとさみしいが、
でもいま作り手になった自分は
CDやレコードを
手に取ってあれにしようか
これにしようか選ぶ楽しさは
すごく知っている。

シャネルの香水が、
創業当時から、
近所のスーパーで、
ペットボトルに入って
激安で売っていても、
ぜんぜん欲しくならなかっただろうと思う。
どんな箱に入っていて、
どういうお店で売っていて、
値段もそれなり、
ということの意味を考えさせられた。

かつてのタワレコのように
CDが「欲しくなる」ような
お店を僕は知らないだけかもしれないが、
とりあえずAmazon、となる最近、
ホームページでしか売りません、
というのも買い手に不便だ。

CDアルバムも、ほんとは
1500円で安売したり、
iTunesでDLさせたり、
Amazonで売ったり、
しちゃいけないたぐいの商品だった、
というのは、今だからわかることで、
世の中は価値よりも便利を
とことん追求していきます。
いいやり方が見つかるまでは、
ぼくもこの一員です。
でぃ!↓
Amazon 木下ときわ「海へ来なさい」


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2009年7月16日 (木)

youtube大学

ひさびさにメガヒット、どうぞ〜。

この話ぜんぶギターに応用できそうだ、
ギターのことだけやってても
分からんくなってきたんで♪
1-3呼吸の話も必見。

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2009年7月15日 (水)

自分の音楽を自分で売り込ませるしくみ

というのが、ネットで音楽や映像を
公開するときの「普通」になってきた。

myspaceやyoutubeなんかに
音や映像を公開する場合、
自分の氏名や生年月日を
入力して、一個人から
発されていますよ、という
ことを強く表明させられるわけだ。

たとえばこの人
myspaceやyoutubeをマメに巡回、
ブログ、コメントを書き、
自分録りした映像を編集してアップ、
その他いろいろ、
コツコツ自分で自分を演出し、露出させる。
僕はいろんな意味でこの人に注目している。

たとえばジェームズ・ブラウンが、
これをやっていたらカッコいいのかどうか。
コツコツPCに向かい、ブログにコメしてるJB、
僕はあんまり見たくない。

パソコン?めんどくせぇ!
という野生児の音楽をこそ聞きたい。
できれば自分もパソコンから離れたい。
ただ、一個人からパソコンで
音や映像を露出する、という
「しくみ」ばかりがどんどん整備されて
来てしまうと、
JBみたいな人でも、
コツコツPCに向かって
コメしたりしないと
ライブにお客さん来てくれないんじゃないか、
なんて心配も出て来るかもしれない。
受け手の注目がネット上にあるから。
今や、ネット上にいない音楽は、
この世に「ない」ことにされてる勢いだ。

本能的な感覚に長けた、おもしろい音楽をやる音楽家と、
コツコツとネットに自分を露出させるのがうまい奴、
というのを、ぼくは
ひとつにできない、したくないのかもしれない。
じゃあだれかに更新やってもらえば?
となれば簡単なことかもしれないが、
システムの方は「自分で発信しろ」
というシステムばかりで、
かたくなにそれを拒むのもなんだかなぁ、だ。
正直まだ迷ってます。

「すべてが個人から発され、
個人間で共有されるべき」
これはネットというより
「google」発の思想で、
世界中の、人んちのベランダに干してある
パンツまで撮影して集めてる会社が、
今のまま正義の味方でいいのか、
そうじゃないのか。
何を見せて、何を見せずにおくべきなのか。
自分でもまだ結論は出ません。

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2009年7月14日 (火)

お客さんは

本当にすごいなと思います。

野球のバッターであれば
3割打ってるわけでもなく、
サッカーのFWであれば
ゴールを量産してるわけでもない。
ときわさん(vo)と僕でやっていることは、
現時点で、誰もが直で感動できるような
「結果」をいつもいつも出せる音楽では
ないと思うんです。

草木なら花を咲かせる前の段階、
上にのびる前に、
土の中に根を張りめぐらせているような、
そんな時期が続くときもあるのかもしれない。

お金を払って来るからには
花を見たい、という
聞き手なら当然の気持ちがある一方で、
にもかかわらず、
まだまだこれから、という部分も
ひっくるめて
まるごと聞きにきてくださる。
幹や根っこも、である。

僕なんか、客としてものを見るときは
やっぱり最短時間で、
最小限の出費で、
花だけを見て帰りたい、
という貧乏根性丸出しである。

歌舞伎での、
良いかイマイチかをもひっくるめて
今日の玉三郎はよかった、とか、
今日の仁左衛門はイマイチだった、
という見方、
すごく余裕のある
ものの楽しみ方だと思う。
歌舞伎のご贔屓筋、
相撲や芸能のタニマチとは
本来こういう
「余裕を持って楽しむ目」を持った人たち
だったのではなかろうか、
としみじみ感じ入るものがある。
結果だけでない何かを
見てくれていると感じる。

演奏に呼んでくださるお店も、
だから同じ意味ですごい。
W杯予選で三連敗したら
もう監督の進退問題、
というこのご時世に、
ありがたい気持ちでいっぱいだ。

決してあなた方だけは
僕を分かってくれてるよね、
ということが言いたいのではない。
自分と理解者だけの
小さい輪の中でうぬぼれることは
作り手をダメにするだけで、
自分もそういうことだけには
なりたくないなーと思う。

自分個人のことだけではなく、
これからの音楽全体を
面白くしていくのに、
聞き手のこういう楽しみ方、
すごくいいと思う。
花が咲こうが咲くまいが聞きに行って、
まるごと楽しんでみようか、という。

ただし野球でもサッカーでも、
泥沼の15連敗、とかってなれば
誰も聞きに来なくなって当然。
現場で拍手の音の大小を聞けば
自分への評価というのは
痛いほど分かるもので、
そうやって、
時には温かく
時には厳しく
見ていてくれるお客さんが
いるということに感謝して、
またひたすら修行あるのみ、であります。
土曜日の白金クーリーズクリーク
来てくれてありがとうございました。


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8月6日(木) 7:00pm
(no music charge: 投げ銭制)

Cafe MURIWUI
東京都世田谷区祖師谷4-1-22-3F

(お店はこんな感じ)

●木下ときわ
●Love letter+1
(両方ともギターは新美博允)

大阪の友だち、竹腰さんの
ソロユニット Love letterと対バンです。
店内涼しい風が通るので冷房はありません。
とはいえ真夏です、
どうぞ薄着でお越しくださいませ。
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2009年7月11日 (土)

新譜CDが

納品されました。1000枚、我が家に。
香港のプレス工場からはFEDEXで1日で届きます。

詳しいことはこれから日記にも書いていきますが、
とりあえず見事な出来映えを見てホッとしてます。

届いてすぐ、安心したのか気絶するように爆睡しました。
ここ1〜2年張りつめっぱなしだった糸が
一気にタラーンとゆるんだようです。

にいみレコードとして4作目、
演奏、歌、音、デザイン、いずれも今できる最高の
ものを形にできた。
今作では初めて、
助けられながらデザインを僕がやりました。

ネットに音や映像をアップするだけではない、
ブツとしての存在感は、やはり捨てがたい魅力がある。

作品が世に出て気に入っていただけるかどうかよりも、
今できることを素直に精一杯やり切ることだけを
大事にしました。

お世話になった方々にまずはご報告。
お手元に届くまでしばしお待ちください。

ショップ発売日は2009年8月6日です。
いまだ脱力中〜。

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2009年7月10日 (金)

こう曇りや雨の日が続くと

日記に書こうと思うことが
ことごとくツマらないことに思えてくる。
気づかないうちに、気持ちが落ちてるな、これは。

こういうときはコレだ↓。

苦しいときは誰にでもあるもの。
メジャーに行く前後のイチローと松井の言葉。

そして仕上げにコレ↓。

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2009年7月 8日 (水)

七夕だから

http://st.sakura.ne.jp/~iyukari/index.html

見てみてください、最近教えてもらった星占いのページ。

自分は7/31生まれということで、
獅子座の2009年を見ると、
何かが起こりそうな気配。

獅子座に限らず、2009年というのは
これまでの10年間が終わって、
次の10年に入る、節目の年ということで、
あとあと語られるんじゃないか、
そんな気がしてます。

音楽も、
この10年注目されてきたものが
なんだかマンネリに見えてきて、
この10年おとなしかったものが、
今また新鮮に見える。

90年代がリバイバルするとは全く思わないし、
そういう繰り返し、ということではなく、
10年溜めていた力が爆発するような感覚だ。

どういう形で何が起こるのか。

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2009年7月 5日 (日)

新MacBookに

ようやく買い替え。
Powerbook G4、5年間ありがとう。

僕含め、おそらく名古屋から大阪あたり出身の
人間は、基本、値切り魔です。
もちろん佐渡島にも電気屋で値切るのが好きな人は
いると思うが、皆が皆ってことはないだろう。

江戸が金貨、大阪が銀貨、
江戸時代のこの違いが大きいんじゃないか、
という話を聞いたことがある。
銀貨は金貨よりも細かい単位なので、
金貨ではムリな「ちょっとマケる」ことが物理的に可能だった、
という話だ。

あと、店員さんとの短いやりとりをも楽しみたい、というのが
自分にはちょっとある。
同じ店の同じ売り場でも、
スパッと限界値を言う店員さんもいれば、
ネチネチと1,000円ずつしか下げない店員さんもいる。

ということでスパッと下げてくれそうな、
40代そこそこの、オタクっぽくない、
声がデカくてイキのいい、自分の判断で
値下げできる立場の、中肉で目がきれいながんばり屋の、
男の店員さんを探して声をかける。

時間やお金に余裕があるときはそれでいい。

そうではなく、お金がない、でも今コレがないと困る、
というときの実戦的な方法もある。
楽器なんかは仕事で急にコレがいる、なんてこともしばしば。

そんなときはまず、それを今日すぐ欲しい、
という物欲を捨てることから始める。
つまり、「今日は欲しくないオーラ」をまとって店に入る。
欲しくてたまらない、という人は店員さんから見ると
「やりやすい相手」である。
まあ別に欲しくないんだけど、という人、
これに買わせるのは手ごわい。

かなり値が下がって当たり前、という信念、
希望の値段を聞かれても自分からは言わず、
そして時間帯は閉店間際。
商品にもよるが、これを守れば黙っていてもある程度は値が下がる。
そこからどんな会話で持っていくかは、
その都度ちがうので書きようがない。
このあたりは皆さんそれぞれいろんなノウハウが
おありだろう。

に「このギターいくらスか?」
店「書いてあるとおり42万だよ」
に「イヤ、なんも書いてないな〜」
店「38万。」
に「28万て書いてあるように見えるんスけど」
店「36万でいっぱいいっぱい。」
というジャブをかわしたり。

いずれにせよお金を使う側の方がラクで楽しいに決まっている。
この店員さんがお金払って僕の演奏を聞きにきたら、
と想像したときの、売り手と買い手の立場の逆転っぷりたるや。
店「なかなかよかったよ。」
に「ありがとうございます!」

ぼくのこの値切り感覚は、今までギターなどを買うときに、
店員さんと遊びながらも格闘してきたささやかな歴史の積み重ねである。
しかしウチの母のように、ドスのきいた
「もっとマケや〜」のひと声でがばっと下がる、
その境地にはまだまだ遠い。

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2009年7月 3日 (金)

楽器の進化を

さかのぼることを思いついたのは、
この1年くらいです。

最近2ヶ月のうちに、
中央線で1回、小田急で1回、
席に座ったら向かいがゾマホン
CDプレス屋さんに行けばなぜかアフリカショップが入っていて、
ティディニという楽器に出会ったり。
こんなバンドを教えてもらったり。
ほかにも書ききれないくらい、
アフリカに出くわすことが多い最近です。

今のポピュラー音楽から、あまりにも遠い音楽だもんだから、
日本人はアフリカ系の土着音楽を聞いてもピンとこないのかも。
ヨーロッパ行くとあんがいアフリカ系のコンサートも多くて、
スイスの田舎町ではサリフ・ケイタが来てたというポスターを見た。
そしてアフリカの音楽、根っこは実はとても日本に「近い」。
この歌、エチオピアですよ^^。
江戸時代がそのまんま続いてたら
今の日本の音楽シーンはどうなってたんだろう?

ティディニという弦楽器、これ、
調弦するペグみたいなものすらなくて、
まさに、箱と、棹に、弦を張りました、というだけの、
超簡単なもの。

その時代の文化や宗教、人間の「便利」に合わせるように
楽器も変化、進化してます。
つまり、シンセという鍵盤楽器になる、
その前にピアノという楽器があり、
その前にチェンバロという楽器があり、
その前にダルシマーという楽器があり、
その前にハープという楽器があり・・・。

もっと大きな音を、もっと精密に、もっと便利に、
そして僕たちの宗教音楽を奏でやすいように、
という進化は楽器本体も変化させてきました。

これはものすごく変に思われるかもしれない考えですが、
「もっと大きな音を、もっと精密に、もっと便利に」
という、近代化が得意な「もっと」を
いちど楽器本体からとっぱらって、
そこに残る「音」だけを確認したい、と
どうやら自分は思っているみたいです。

これまで新しい楽器を生み出して来た職人さんでも、
もっと大きな音を、というときに、
まあ音色の味わいは犠牲になるけどね、
ボディを木から鉄にしましょうか、
というような部分があったんじゃないか。

ならばそれをさかのぼって、
近代化の枝を、一度木の幹まで戻って、
そこから新しい枝を生やしたらいいんじゃないか、
というイメージです。

ギターにいろんな物をつけ加える前に、
ティディニに戻ってみる、というのも
面白いんじゃないか、っていうのはそこから来てます。

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